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コミュニティ名=【d-tech代表のブログ】

2017/06/08/ 10:36:57初回投稿
2017/06/08/ 10:36:57更新
投稿番号:30  状態:3

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コトバの2つの使い方(追記3) 00000028 2012年11月30日
 コトバは、情報の一形態ですが、その使われ方が、大きく2つに分かれます。
第1は、事実を事実として述べる場合であり、第2は、表現者の意思や、思いや、好みを述べる場合です。

 第1の場合は、実体に対応する事実は(真実)、一つでありますが、人によっては、異なって見えることがあります(事実認識が誤っていることがあります)。この場合は、お互いに話し合いや、議論をすることによって、事実認識をより正しくすることができ、お互いに合意できるように努めます。科学や、学問の領域では、このことが組織的に行われます。これらは、コトバによる合理的な思考に基づきます。究極的には、お互いに合意することが可能な世界です。コンピュータは、合理的な思考を助けるツールとして、有効性をますます高めています。

 第2の場合は、「思います」、「信じます」、「すべきです」、「したいです」、「好みます」、「好みません」の世界で、お互いに話し合って、議論して、お互いの理解を深めたり、説得で、歩み寄ることもありますが、必ずしも合意することは、できません。この場合のコトバの使いかたは、合理的な思考に基づくとはかぎらず、人によって、認識が異なることが前提になります。これを価値観が違う世界ということもできます。価値観は、真実と違って、時代や人々のおかれた環境によって変化します。しかし、通常、人々は、価値観がことなっても、折り合って生活していきます。コンピュータには、価値観がありませんから、この場合のコトバの使い方とは無縁の世界です。


 なお、これらの2つの場合は、実際のコトバの使用場面では、混在して、さまざまなレトリックを伴って表れます。しかし、コトバでいわんとしていることを正しく理解するためには、2つの場合を正しく識別する必要があります。 問題は、第2の場合に、合意することができないとき、争いが起きることです。

 争いは高じて、暴力沙汰になることがあります。暴力は、人間社会では、結局は、問題を解決することにはならないことを長い歴史のなかで、人類は学んできました。

 古来から、このような暴力沙汰を避ける工夫が行われてきました。

 近代以降は、法治制度が発達し、国家のなかでは、暴力沙汰を避ける工夫がされてきました。

 しかし、国家が混乱したときの内乱や、崩壊するときの革命に伴う内戦や、国家間の争いとしての戦争が現代でも残っています(国際社会では、なによりも国家主権が優先され、国家間の戦争をする権利が実質的に留保されています)。

 いずれ、文明が進歩して、国家にまつわる、このような暴力沙汰を少なくし、なくす方向に進歩することが期待されます。

 ITは、このときの大きなツールとして、役立つと思われます。

 しかし、懸念されるのは、ひとびとの強欲と争いが高じて、あるいは、想定外の事故などで、核戦争などの戦争が拡大して、現代の人類文明が亡びて、あらたな文明が芽生えることになるかもしれません。

 平成24年12月 北村 拓郎

 

 





  日本の状況 00000028 2012年12月02日 北村拓郎

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 日本の国内において、2つのコトバの使い方は、意識するにしろ、しないにしろ、ほぼ常識として、適切に使われていると思われます。ひとによって、価値観が違うということ、お互いの価値観の違いを認め、折り合って生きていくことは、むかしから、なかったわけではありませんが(日本人の特性である和の精神など)、第2次大戦後には、新憲法が制定され、人々の常識になっていると思われます(人権の尊重、表現、信教の自由、男女同権などが、明示されるようになった)。

 さまざまな暴力沙汰も日本の国内では(鬱屈した暴力といえるいじめなどは別として)、世界の一部の地域に比較して、非常に少ないと思われます。

 幕末から、明治初期にかけての内戦(戊辰戦争や、西南戦争など)を最後に、国内での内戦はなく、戦後から、20年間ほど続いた、暴力革命の風評や議論も下火となっています。

 しかし、最近の政治不信などが高ずれば、下火が、燃え上がらないとはいえません。

平成24年12月
 北村 拓郎

 




  日本をとりまく最近の国際情勢 00000028 2012年12月05日 北村拓郎

編集  追記  削除

 世界中の言語は、5,000種類を超えるといわれていますが、すべての言語は、共通の性質をもっており、互いに翻訳可能であります(実際は、翻訳は煩雑であり、場合によっては、きわめて冗長になるでしょうが、原理的に翻訳可能であります)。すべての人間の子供は、適切な環境におかれれば、どの国の環境にも順応し、異国のコトバを使うことができるように成長いたします。

 多くの日本人が、国際活動として、ビジネスや、文化面や、学問分野で活躍し、先に述べた、2つの場合の異国のコトバの使い方に順応しています。各人の個性の幅は、異なりますが、すべての人類のコトバの使い方は、同じであるといえそうです。議論が高じての暴力沙汰も地域によって、若干の差があっても、大人の世界では、コトバが十分に通じる場合には、抑制されます。

 しかし、国家が関与する国際関係では、国内とは、大いに事情が異なります。

 国家間の紛争の解決は、まず、外交交渉で行われます。外交交渉での話し合いの決着がつかない場合は、実力行使(場合によっては戦争)に及びます。

 日本は幸いにして、戦後、他国と戦争にいたる紛争をかまえることがありませんでした。しかし、今後はどうなるでしょうか?

 最近は、中国や韓国や、ロシアと領土問題が取りざたされ、外交では容易に、決着がつかず、実力行使が懸念されています。

 かりに、これらの紛争が戦争になるとすると、国交は断絶となり、領土問題の真の解決も遠のくのみで、双方にとって、何のメリットももたらさないでしょう。これらの紛争は、外交交渉によって、解決するほかにはなく、場合によっては、主張のへだたりは、時が解決することを待つほかないでしょう。

 平成24年12月

北村 拓郎








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